日記・コラム・つぶやき

2018年7月17日 (火)

思考訓練の場としての写真 #22 のこす

皆さんは画像データを何に保存されてますか?

私は紆余曲折を経て、今は、画像データをハードディスクとクラウド保管の二重で保存・バックアップしています。
幸いにしてデータがトンダことは無いのですが、それなりに時間とコストを掛けて割と用心深くやってます。

でも、時々思うのですが、時間とコストを掛けてデータ保管する意味があるのかなぁと。

一つには私の写真にそこまでの価値があるのか?ということです。たとえデータが無くなっても、私が残念に思うだけですよね。
私さえ諦められれば、誰も困らないし、問題も発生しない。

もう一つ言えば、一度現像してプリントやブログにアップするなどした後に、後日、ふたたび使用する画像データは、気に入ったほんの一部のデータに過ぎません。大部分のデータは、二度と使う事のないデータなのです。ひょっとしたら使う事があるかも知れないので念のため残しているだけなのです。
でも「ひょっとしたら」なんて事は殆ど無いし、仮にそういう事態でもデータが無いなら無いでもそこまで困らない気がします。
まさに「someday never comes」なのです。

むしろ今気になっているのは、私に突然もしもの事があったら、誰がこのデータを処分するのかです。
ハードディスクは廃棄処分してもらう事として、クラウドデータは、家族の誰も存在さえ知らないので、うまく処分できるかどうか心配になります。可能な限り迷惑はかけたく無いのですが・・・。エンディングノートに書いとかないといけないのでしょうかね。

それなら最初から「残すな」なのかもと思い始めています。

いずれにしても、私の断捨離には画像データが含まれるのは確実ですね。

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2018年7月16日 (月)

思考訓練の場としての写真 #21 いろ

「色はおまけです」と私の尊敬するプロ写真家の方は言われます。

その方は素晴らしいモノクロ写真を撮られる方で、私はその写真が大好きです。とても良い写真なので仕事場の前の壁に飾って毎日眺めています。

その方のいう通り、素晴らしいモノクロ写真は、心の底まで訴えかける力があるように思います。色の付いた写真よりも、何故かイメージが膨らみ、過去の記憶が呼び出されて、感情を揺さぶられる感覚を覚えます。
多くのモノクロ写真の傑作はずっと見ていても疲れませんし、心が落ち着きます。

だけど、私にはなかなかモノクロ写真が撮れません。腕前として撮れないのもあるのですが、やはり色が無いと寂しいのです。

子どもの頃、初めてカラーテレビを見たときの感動が今も残っています。世界が色に満ちていることを改めて感じた覚えがうっすらあります。
写真もそうです。初めてカラー写真を撮った時の喜びを身体で覚えているような気がします。

いつかモノクロ写真で素晴らしい写真を撮りたいと思っています。でも当分はカラー写真中心でなんとか奥深い写真を撮りたいと思っております。


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2018年5月26日 (土)

思考訓練の場としての写真 #20 ひだりめ

私は左目でカメラのファインダーを見ています。最近まで他の人たちもそうだと思っていました。
ところが、多くの人が右目でファインダーを覗くのだということを初めて知りました。

要するに、手にも利き腕があって右利きと左利きがあるように、目にも利き目があって、私はたまたま左目利きだということのようです。そして、どうやら「手」と同じく、「目」も右利きの人が多いようなのです。注意深く他のカメラマンを見てみても、今のところ圧倒的に右目でファインダーを見ている人が多いようです。(自分の主観です)

違和感を最初に感じたのは、縦位置の写真を撮る時です。特にファインダーが中心より左側に付いているカメラ(結構多いとおもいます)の場合です。
皆さんは縦位置で撮る時に、カメラの右側を上にしますか?それとも左側を上にしますか?
右側を上げると右手が大きく上に来ます。(当たり前ですが)
逆に左側を上に上げる時には右手を大きく下にします。
私はもっぱら、カメラの右側を上にします。
何故なら、左側を上にしようとすると、右手を下にして、手首を反らして、右肘を腹の左前に入れ込んでシャッターを押すのですが、その姿勢がとても苦しいからです。
その姿勢を右目でファインダーを見る人は、比較的容易にやっているのを知ってから、私だけ、右手のネジリが大きい事に気が付き、自分が左目で見ている事に気がついたのです。

左目で見る事で不便があるのは、先に書いた通り、今のところ縦位置の写真をカメラの左側を上にして撮る時位しかありませんので特に問題は無いのですが、カメラのデザインによっては支障が出そうなので、新しいカメラを買う時には注意したいです。

今のカメラの大半は、私の知る限り、右手でシャッターを押す形になっています。おそらく、手も目も右利きを前提に作っているように思います。多くの人が右利きだし、利き手と違う方でシャッターを押す事も不可能ではないので仕方ないとは思いますが、時代の流れからすると、この辺にも配慮が求められていくようになるのではないでしょうか。(左利き用のカメラって売っているのでしょうか?)

ちなみに、幸いな事に私は鼻が低いので、左目で見てもカメラのボディに鼻が当たって使いにくいと感じた事はありません。生まれて初めて、鼻が低くて良かったと思いました。(笑)


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2018年5月25日 (金)

思考訓練の場としての写真 #19 しゃったー

デジタルカメラになってから写真の撮影枚数がどんどん増えてしまいました。以前のフィルムカメラだとどうしても枚数を気にしながらの撮影で、ケチりながら撮影していくのに、帰る頃になってからは逆に36枚撮り切らないと現像に回せないと思って、必要もない無駄なショットもしてました。(最後まで撮さない方がコストダウンかも知れないのに)

今は大きめの記憶媒体(SDカード)さえ有れば、ストレスフリーで何枚でも撮影できるので、格段に撮影が楽しくなりました。その反面、すぐに何にでもシャッターを押してしまっている私がいます。その結果、駄作を連発して、現像の時に写真を選ぶのにすごく時間が掛かるようになってしまいました。

時々教えて頂く写真の先生からは、「一枚一枚、気持ちを込めてシャッターを押すのですよ」と言われているのですが、根がケチでかつ欲張りな私は、「取り敢えずこの場面を押さえとこう」みたいな感じで撮影してしまうのです。

同じ構図でも、露出を変えてみたり、縦位置と横位置の両方で撮ったりしていると、同じような写真ばかりたくさん並んでしまい、自分でもどれが良いかわからなくなる事も多い気がします。

要は撮影が下手くそなだけなんですが、写真をたくさん撮って、経験を積むことで上達するのではないかと思っていました。でも最近、そもそもこんなに無駄にたくさん撮る事で写真が果たして上手くなるものなのか、不安になって来ています。
下手な写真を何枚撮っても、それだけでは成長しないのかもしれないですね。撮影枚数が減らないのは上達していってない証拠なのかも知れませんね。うーーーん。


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2018年5月24日 (木)

思考訓練の場としての写真 #18 れたっち

アマチュアカメラマンの先輩から聞いた話です。

写真クラブ内での写真講評会があって、ある会員の方が素晴らしい写真をお見せになったそうです。
花が満開の桃の木々と南アルプスの山並みが見事に写っている写真だったそうです。他のメンバーたちが褒めつつ、何時撮ったのかと聞くと、昨年に写真クラブのメンバーと一緒に撮影ツアーに行った時のものだとのこと。
それなら私たちも一緒に撮ったけど、こんな場所あったかなぁという話になったそうです。皆が撮った時には、桃の木にはみんなワイヤーで支えがあったのですが、それが全く無い写真だったからです。

その会員が言うには、桃の木を支えていたワイヤーは一年かけて、全てパソコンの画像加工ソフトを使ってレタッチで消したのだそうです。

先輩が言うには、その写真クラブではレタッチ禁止となってないから別にオッケーだけれども、複雑な気持ちになったそうです。

私もこの話をお聞きして、色々と考えさせられました。確かに桃の木の支えのワイヤーが無い方が美しいと私も思いますし、消したくなるのも分かります。また、コンテストとかに出すのでなければ、写真に作成基準がある訳ではありません。
私は写真は自由なものだと思っています。したがって、そこは個人の選択の問題であり、個人の自由だと思います。

ただ、私は基本的にレタッチはしません。RAW現像する時に露出や色彩の調整、トリミングまではしますが、邪魔になるモノを消すようなことはしません。何故なら、そういったモノがあるというのは現実ですから。

勿論、撮影の時に余分なモノやヒトを極力入れないように努力はします。主題や副題をより良く表現するには、余分なモノは無い方が良いと思っています。でも、どうしても入ってしまうものはしょうがないと思って、諦めます。それも現実だから。

余分なモノが入ってしまったら、私は「残念な写真と言われても仕方ない」と諦めます。大袈裟に言うと、「残念な写真」も含めて、それが私の人生の一部だと思っていますから。むしろ「残念な写真」という現実を受け入れることで、前向きに進んで行けるような気がします。

皆さまには私の「残念な写真」をそのままお見せすることも多いと思いますが、こんな私ですのでご容赦くださいませ。

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2018年5月23日 (水)

思考訓練の場としての写真 #17 のりもの

鉄道や飛行機など乗り物を撮影するのが好きです。精神構造が子どものままなのかも知れませんね。

乗るのも好きなのですが、乗り物酔いをする体質なので、どちらかと言えば乗るよりも撮る方です。酔うせいか、実は船や車はあまり好きではありません。

何故、乗り物の写真が好きか考えてみると、第一にカッコいいからです。車体・機体それぞれの個性があって、流線型のフォルムもカッコいいし、無骨な車体も味があります。SLの力強さにも心が奪われます。

もう一つ、好きな理由は、乗り物に感じるワクワク感です。言葉にするのは難しいのですが、旅の思い出や遠くに連れて行ってくれるという期待感が入り混じった、希望に繋がるようなワクワク感を感じるのです。見ているだけで、根源的な記憶がアドレナリンを出してくれるのでしょうか?
「遠くに行って見たい」という心の底の願望が呼び覚まされるような気持ちがするのは私だけでしょうか?

鉄道や飛行機の写真を見ながら、感傷的な気持ちが湧き出て、出会いや別れなどの忘れていた記憶が蘇ってくることがあります。それだけでも写真って「いいな」と思うのです。そんな写真を撮りたいと心から思います。

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2018年5月18日 (金)

思考訓練の場としての写真 #16 さいくるひっと

一枚の写真がそれだけで人に感動を与えることもありますが、何枚かの写真を組み合わせることで与える感動が大きくなることもあります。写真集全体でストーリーを感じて、さらに素晴らしい感動を受けることもあります。

所謂インスタ映えする写真は、一枚で強烈な印象を与える写真が多いように思います。そういう写真も良いのですが、私は、地味な?写真を何枚か組み合わせて、その人の世界観を味わさせてくれる写真集や組写真が好きです。

私の写真も「組写真」で見てもらいたくて、出来るだけブログには何枚かを同時に合わせてアップするようにしています。似たような写真が多くなって、反省もしていますが。

野球で例えると、1試合4打席あって4安打したいと思っているのですが、今の私の写真のレベルは、4枚の写真でヒットと思えるのはせいぜい1枚程度かなぁと思っています。それもポテンヒット?

最終的に目指しているのは「サイクルヒット」達成です。全部、ホームランのような写真は現実的に無理だし、見ている方も疲れます。
ホームラン、三塁打、二塁打、ヒットと揃った組写真がお届けできたら、写真は卒業です! 永遠に卒業は無理だけど・・・。

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2018年5月17日 (木)

思考訓練の場としての写真 #15 きゅうじつ

休日に、写真を撮りに小さな旅に出るのが私の大きな楽しみです。あくまでも写真撮影が目的の旅です。観光や歩くのが目的の旅に出て、ついでに写真を撮る事もありますが、あまり良い写真が取れない様な気がします。

軍資金が無いのでそんなに頻繁には行けません。したがって、写真を撮ることを目的とした場合は気合い充分で心構えが違います。周到に事前の情報収集から始めて、日程の決定、写真機材の選択、バッテリーの充電等抜かりなく行います。天候や狙いの被写体に応じた交換レンズを選択し、何本か持ち出して重たい荷物を用意します。
写真機材の重たさが老年写真愛好家にとっては大きなマイナス要素で、モチベーションを下げる要因となっています。ミラーレスの軽いカメラが売れるのが良く分かります。

そんな重い荷物を持って、いよいよ旅が始まると気合い十分に撮りまくります。デジタルカメラになってからは、撮影枚数に関してはストレスフリーで何枚でも撮れるのが嬉しいですね。もちろん、SDカードなどの記録媒体はたっぷり用意する必要がありますが。

被写体になるものを探しながら歩いて行くのは、本当に楽しいものです。帰りの時間を気にしつつ、夕焼け空を期待して、もう少し、もう少しと撮影します。大抵は暗くなって撮影に苦労するようになる前に帰ります。家に着いたら機材の手入れは簡単にしますが、疲れてしまって、写真の整理は翌日以降です。

そんな休日を過ごすのが私の至福の時間となっています。

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2018年5月16日 (水)

思考訓練の場としての写真 #14 しょうにん

人間には「承認欲求」というものがあるそうですね。人から認められたい、褒められたいという欲求は誰でもありますし、私も持っています。
勿論、写真を趣味にする方も少なからずあると思います。自分の写真を褒められたいと言う気持ちがあって、人に写真を見せるのですから。
ブログに写真を載せるのも同じかも知れません。「いいな」を貰えると嬉しいですもの。

でも、褒められることが目的になってしまうと、少し窮屈な気持ちになりませんか?
プロ写真家なら当然、お客様に気に入られる写真を撮る必要があります。しかし趣味で写真を楽しむのなら、「自分が良いと思う写真」を楽しむのが最大の目的になります。だから、趣味の写真は自己満足の極致を目指すべきだと思うのです。人の評価はあくまで参考指標だと思うのです。(褒められることで、動機付けとモチベーションアップになりますので、褒めていただければそれはそれで幸せなので、お間違いなく!)

だからこそ、写真の練習をして自己満足できる写真を撮るべく頑張るのですが、腕が下手くそなもので、なかなか気に入った写真が撮れないなあと感じています。
ブログにアップした瞬間はかなり自信があって満足しているのですが、何度も見ていると、どうも気に入らない所を感じることが多いのです。だから、自分がずっと見ていたくなる写真をいつかたくさん撮れる日まで頑張ります。そしてそんな写真がたくさん撮れたら、このブログに惜しみなくアップして皆さまに報告しますので、それまでは拙い写真でもご承認くださいませ。


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2018年5月15日 (火)

思考訓練の場としての写真 #13 かめら

新しいカメラのニュースを読むと心がときめきます。別に今のカメラに大きな不満があるわけではありませんが、もっと機能が向上して綺麗な写真が撮れるのではないかと思うとどうしても気になってしまいます。

正直に言うと、写真以前にカメラというモノにも凄く関心があります。精密機器を持つ高揚感、高機能とデザインが完全に計算された工芸品を持つ悦びがカメラにはあります。大げさにいうと新しいカメラには先端文明に触れている充実感があり、一方でレトロなカメラには時代を超えた文化遺物としての愛おしさがあり、両方に魅了されてしまいます。

ということで、数年に一度はカメラを買ってしまい、古いカメラを手放すこともできません。

ネットでカメラを調べながら、頭に「ある曲」が鳴り響きます。その曲は井上陽水さんの「限りない欲望」。「限りないもの それが欲望、流れ行くもの それが欲望」このフレーズが頭の中でリフレインされてやみません。なんてこった!


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