日記・コラム・つぶやき

2019年3月24日 (日)

シルバニアファミリーとプーさん

先週の日曜日に銀座の松屋に家族でシルバニアファミリー展を見に行ってきました。
シルバニアファミリーは子どもたちが小さい頃に居ましたので、とっても懐かしい玩具です。
時代とともにさまざまな動物の仲間が増えていったことがよくわかりました。
写真撮影可の場所で写真を写しました。
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我が家に居たのは何だったのがの記憶が薄れています。
うさぎさんだったような。
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銀座でシルバニアファミリー展を見た後に銀座線に乗って、渋谷駅に向かいます。
渋谷駅に行くのは久しぶりです。
渋谷ではプーさん展を見ました。場所は「Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷・東急本店横)」です。
プーさんはディズニーの映画や絵本で子どもたちとよく見ていました。
プーさん展では原画がたくさん展示してあって、素朴な味わいがとても心を休めてくれます。
写真撮影可能な場所で写しましたので少し雰囲気をご覧くださいませ。
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この写真は肝心のプーさんが写ってません。何のこっちゃ!
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少しだけ雰囲気を感じていただけましたでしょうか?

2019年3月20日 (水)

ココログがリニューアルされて苦労してます!

ココログがリニューアルされました。投稿の画面も変わってしまいました。
年を取ると変化についていくのも大変です。
老化防止のための頭の訓練には、ちょうど良いかも知れません。
とにかく慣れるしかありませんね。
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2019年1月27日 (日)

奥日光の朝

おはようございます。

昨日から奥日光に来て、写真撮影をしています。
昨日午後くらいから、少しずつ、雪が降ってきています。
夜は相当冷え込みました。
ホテルのお風呂がぬるくて、とっても寒かったです。

今日は雪景色を撮影して帰りますので、お楽しみに。


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2019年1月24日 (木)

思考訓練の場としての写真 #39 見て楽しむ

最近、ようやく気付いた事があります。

『「見たい写真」と「撮れる写真」は違う』と言うことです。

スポーツに例えると、「観戦するスポーツ」と「自分がやるスポーツ」みたいな感じです。
(自分でもやるし、観戦するのも好きというケースも、勿論あるでしょうけど)

「見たい写真」は、すなわち好きな写真と言い換えてもいいかも知れませんが、雑誌やネットで見て、素敵だなと思ったり、気に入って写真集を買ったりする写真のことです。
具体的に言うと、私の場合は、絶景写真と呼ばれるものを中心とした風景写真が一番見たい写真です。
特に四季折々の広大な光景を映し出した写真が好きで、家に飾りたくなります。

でも、写真を趣味として撮り続けて何年も経って、ようやく今になって、そんな絶景写真は自分には撮れないということがわかってきました。
絶景写真は、私の「撮れる写真」ではないのです。

以前は、そういった写真を自分でも撮りたいと思って、トライはしていたのですが、結果として、うまく撮影出来なかったのです。
そして、上手くいかなかった理由を冷静に考え、どうも私には無理だという結論に達しました。

無理だと思う理由を挙げていくと、自虐と弁解の箇条書きみたいになってしまうので、此処では省略させていただきます。

一言で言うなら、そういった絶景写真を撮るために必要な諸々の事項が、ことごとく私の不得意な事項であったという事です。
「好きこそものの上手なれ」ではなく、「下手の横好き」だったという事です。


ともあれ、そういう事は、世の中にはよくある事でありまして、特にそれが分かって、落ち込むような事はありません。

そこそこ好きなジャンルの写真を身の丈にあったように撮っていけば良いのですから。

と言うことで、絶景写真は「見る写真」と割り切り、もっと日常に近い写真を撮って、皆さまにも喜んで貰いたいと思っております。


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2019年1月23日 (水)

思考訓練の場としての写真 #38 距離感

私は子供の時から、どうも人間関係における「距離感」の保ち方に苦手意識がある。

辞書によると、距離感とは『相手に対して、心のへだたりがあると思う気持ち。』と言う事なので、親しくなればなるほど、距離感は無くなっていくのが普通なのだと思う。
しかし一方で、私は、どんなに親しくなっても、やはり一定の距離感は保ちたくなるのだ。
「親しき仲にも礼儀あり」と考えてしまう質(たち)なのだ。


実は写真撮影でも、被写体との距離感に迷うことが多い。
写真撮影と人間関係は別の話ではないかと思われるかも知れないが、私の深層の心理では、同じ感覚があるように思う。


もちろん、写真を撮る時の、被写体との物理的な距離が、心理的な距離とイコールではない。
ただし、被写体に近づけば近づくほど、被写体の大きさや迫力に圧倒される気持ちになる事は分かって頂けるのではないか?

そういう意味で、物理的な距離と心理的な距離には相関関係があると思う。
(距離が遠くても、四方に広がる大パノラマであれば、やはり圧倒はされるのだが)


要するに、被写体と撮影者の間にも、「心のへだたりをどの程度感じながら撮影するのか」という「距離感」があると思う。


実は、本当に良い写真を撮るためには、被写体と一体になった気持ちで撮るべきなのかも知れないと、心の中で思ったりもしている。
光景に感動して、無我夢中で撮った時の方が、最も被写体に心理的に近づいていて、良い写真が撮れるのかも知れない。


でも私は、実際には、物理的にも、心理的にも、少し距離感を保ちつつ撮影することが多い。

だから、基本的に人様を撮影するのが苦手である。
どこまで踏み込んで撮影して良いものか考えてしまうのだ。
うまく近づいて、ポートレート撮影ができない。

被写体がモノであれば、それほどは気にならないのだが、今ひとつ、被写体に迫って撮すことが出来ない気がする。

基本的に、望遠レンズを使って、遠めから被写体を狙うことが多いように思う。
スナップ写真でも、ある程度距離が離れてないとダメなので、引いて撮ることが多く、余計なものが写真の画像の中に意図せずに入ってしまう傾向がある。


やはり、良い写真を撮るためには、しっかりと被写体と対峙し、じっくりと見た上で、気迫を込めて一歩踏み込んで撮るべきだろうから、そういう心構えで撮るように努力はしていきたいものである。

でも持って生まれた性分なので、どうしようもない部分もある。
遠くから、はすに構えて、ちゃちゃと撮ってしまう癖はなかなか変わりそうに無い。

今更、性格が変わる訳もなく、自分なりの写真を撮るしかないのだろうと半ば諦めているところもある。

私の写真を見てくださる方々には申し訳無いのだが、ご勘弁くださいませ。

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2019年1月18日 (金)

思考訓練の場としての写真 #37 幸せな時間を思い出す

写真の趣味は本当に良い趣味だと思います。

その理由は、「一枚の写真で3回、幸せな時間を過ごせる」からです。


まず1回目は、「撮影する時」です。

素晴らしい被写体に出会え、それを幸運にも撮影できた瞬間は至福の瞬間です。


2回目は「写真を現像する時」です。

勿論、撮ったままでの写真でも良いのですが、自分の好みの色合いや明るさに調整する事で、写真が見違えるように良くなることもあります。
いわば、写真の2回目の誕生だと思っています。

この現像の作業が手間だと思う方もいらっしゃるようですが、私から言えば、「現像作業をしないのは、とても楽しい時間を捨てている」ようなものです。
パソコンのソフトでとても簡単にできますので、現像をされていない方は、是非一度、お試しくださいませ。


3回目は、「自分の写真を後から見る時」です。

しかも3回めの幸福な時間は、見るたびに味わえます。お気に入りの写真であれば、尚更です。

ここでの写真の味わい方について、是非、意識していただきたいことがあります。

写真そのものをうっとりと鑑賞して幸せになるだけでなく、その写真を撮影した時の幸せな時間を思い出すのです。

「あの時の撮影は楽しかったなぁ」と思い出すことで、幸せな気持ちは倍増します。

しかもこの幸せな気持ちが持てるのは、撮影した本人だけの特権なのです。


こうして幸せな時間を写真を見るたびに思い出して、「有り難い有り難い」と心の中で思っていると、心が和やかになります。

そして写真撮影ができることへの感謝でいっぱいになります。


そういう時に、「写真の趣味があって、良かった」と実感します。


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2019年1月 1日 (火)

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

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写真は、昨年末に鎌倉で撮影した富士山です。


2018年12月19日 (水)

思考訓練の場としての写真 #36 せんたく

自分が撮った写真の中から「この写真が良い」と思って、ブログに載せる写真を選んでいるのだが、この「良い」の基準がありそうで無いので困っている。

「自分の評価基準でしょ!」「どうして自分の事なのに分からないの?」と言われそうなのだが、本当にそうなのだ。


そもそも全部、自分が撮った写真なのだから、全ての写真に思い入れがある。だから選ぶとなると、中々困るのだ。


失敗作はすぐに分かるので削除する。これは簡単だ。ただし、自分では失敗と思っていない駄作は排除できない。

後は比較の問題になって来る。

派手で印象的なモノの方が、ぱっと見は良いような気がするが、自分で段々と飽きてきて、やっぱりダメだなぁと思うことが多い。

逆に、暗くて地味なモノの方が自分の好みに近いので、選びたくなるのだが、人様が見ても絶対に受けないだろうなぁと思って、やめてしまう事もある。

自分の選択基準だと言いながら、結構、人様のことが気になるのだ。


自分のお気に入りの写真でも、よく見ると欠点があったりする。

たとえば、主題のピントが甘いと、それだけで順位が下がっていく。(当たり前か)
構図やピントなど全てが完璧な写真がなかなか無いのだ。いわゆる一長一短というやつだ。

その日の体調や気分によっても、選ぶものが変わるような気がする。
昨日と今日で選ぶ写真が違うことがある。

仕方なしに「一か八か」で選んでいるような時がある。


「甲乙つけがたい」という事では全く無くて、「どんぐりの背比べ」であるのは間違いない。

対象となる写真グループのレベルが絶対的に低いという事は認めよう。

でも、たとえ低いレベルの写真グループであっても、その中の個々の写真には相対的な差はあるはずだと思うのだが・・・。


結局、選択の拠り所となる美的基準が、自分の中で確立していないということのようだ。

もっと感性を磨かないと「どうもならん」ですね!


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2018年12月13日 (木)

思考訓練の場としての写真 #35 記録より記憶

往年のプロ野球選手で、成績としては歴代記録には残らなかったけれども、ここと言うチャンスには強かった選手が「記録」よりも「記憶」に残る選手として讃えられることがあります。

それとは全く関係の無い話ですが、私も「記録」よりも「記憶」なのです。


何の話かと言うと、やっぱり写真の話です。

記録として写真撮影をされる方は大勢いらっしゃいます。

例えば、旅の写真でも、
記録を重視される方は克明に撮影場所や撮影日時を確認して、ブログに掲載する時でもキチンと写真に併せて注釈で撮影日時や場所を書かれたりしています。
ちゃんと、旅の記録として写真を残し、後から参照できるようにされてます。


私は根がズボラなのもあって、写真を記録として残す気があまり無いのです。

記録というよりも、
記憶に残ったいわば「心象風景」として、写真を残したいと思っています。
それが、「記憶」としての写真と言う意味です。


頭の中に浮かぶ過去の光景。

遠い過去の光景だと、もはや現実に見た光景なのか、夢でみた光景なのか、区別がつかない事がありませんか?

何時の光景なのかも忘れてしまってるけれども、何故か心の中に浮かぶ、印象的な光景。

そんな記憶に残る、印象的な光景を写真に残したいと何時も思っています。

そんな写真が撮りたいなあ・・・。


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2018年12月12日 (水)

思考訓練の場としての写真 #34 そんけい

趣味で写真撮影を始めてから、人様の写真の見方が変わりました。

それまでは、雑誌やネットで素晴らしい写真を見ても、素晴らしいとか美しいとか思って感心するだけでした。

でも、自分で写真を撮るようになり、「素晴らしい写真を一枚撮るためにはとんでもない苦労がある」というのが想像出来るようになって、感心するだけでなく、撮ったカメラマンへの尊敬の気持ちが大きくなりました。


私ごとき、インチキのアマチュアカメラマンですら、良い写真を撮る為には、早起きをして、寒い中をじっと夜明けが来るのを待ったりするのです。
いわんや、素晴らしい写真を撮ったカメラマンは、例えば、悪天候の日々をひたすら耐えて、何度も無駄足を踏んだ上で、ようやくの事で、うまく朝日が輝くタイミングを捉えることが出来たのだと思うのです。

写す時だけでは無く、撮影条件の調査から適切な資材の準備、気候条件の研究などなど、様々な作業も行った上での撮影に違いありません。
写した後もそうです。現像からプリントまで、細部に渡って調整作業を行なって、時間をかけて漸く一枚の写真を完成させるのでしょう。


今は、出来る限り、人様の写真を拝見する時は、じっと、時間をかけて見るようにしています。

そしてその人の写真の世界にどっぷりと浸かるような気持ちで拝見するようにしています。
そうする事がその写真への何よりの御礼であると思っています。


ハイアマチュアのカメラマンの方々は、そんな素晴らしい写真を惜しげもなくネットに公開し、私たちは無料でその写真を見る事が出来るのです。
何と幸せな事でしょうか。こんな世の中に感謝です。


ちなみに私の写真は出来るだけ、気楽にみてくださいね。
私は写真に関する時間は全て楽しく、苦労と思った事がありません。

写真の時間はいつでも楽しい気持ちしかありませんので、見る方にも同じように写真を楽しんでいただけたら、それだけで幸せです。


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