日記・コラム・つぶやき

2018年8月23日 (木)

先に逝ってしまった人へ

よく言われる事ですが、失われて初めて、その存在の大切さに気付くことがあります。
古来より言い尽くされている事なのですが、本当にそう感じるので正直に言うしかありません。

失われる前までは、その存在が当たり前すぎて、永遠にそのままのような気がしていました。
当たり前すぎて、私が存在している間に失われることは想像できませんでした。

失われて初めて、心にぽっかりと穴が空いてしまったことに気付きました。
心に占めていた体積の大きさにびっくりしました。

私を構成している沢山のピースの中の一つが消えてしまったように感じます。
記憶は、今がどう変わっても変わるはずのないものと思っていましたが、違っていました。
今の存在が失われることで、記憶までが、私の体から流れ落ちる血のように、零れ落ちてしまいそうです。

零れ落ちた記憶は、私の心の底に沈殿し、もはや私のものでは無いようです。
私の意思とは関係なく、夢の中に出てくるものになってしまいました。

こうして、大切なものが一つひとつ、私の心の底に沈んでいくのでしょうか。
思い出と呼ぶにはあまりに不鮮明な、かつて私自身であったものたち。

最後には、小さくなった私の心を抱えながら、私は眠りにつくのでしょうか。

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2018年8月 1日 (水)

思考訓練の場としての写真 #28 よちのうりょく

今回は「写真撮影の上達には予知能力が必要だ」という話です。

決定的なシャッターチャンスに遭遇しても、何の準備もなければ、なかなかモノにすることは出来ないと思います。

私は何度もシャッターチャンスを掴めなかったことから、チャンスは予知して、準備した上で対応すべきとの結論に達しました。
準備は、写真機材はもちろんなのですが、その時が来てもあわてないという心の準備も含みます。

「予知なんて出来るの?」という疑問に対して、以下具体的に私の考えを書きます。
そういう方向で努力していきたいと思っておりますが、出来てないことも多いですが・・・。

レベル1 乗物系
鉄道や飛行機などの撮影での予知(予測)です。時刻表があるので予想はできます。
例外は新幹線の「ドクターイエロー」です。新幹線の点検用車両で黄色い車両が大人気ですね。時刻表が外部に開示されておらず、ファンのネット上の情報が頼りですが、その通りに来ないこともあります。

レベル2 植物系
季節の状況に応じて、何がターゲットになるかを予知します。桜などネット上に情報がありますので予想は比較的簡単ですね。
でも実際のところはわかりませんので、ターゲット変更の想定は必要だと思います。

レベル3 天候系
天気予報の精度が昔に比べて良くなっていますが、急な天候変動でもシャッターチャンスを逃さないようにしなくてはなりません。
急に雪や雨が降り出しても、慌てず撮りたいものです。カメラを守るビニール袋は常備しています。
雲の動きや夕焼けが赤くなるかなどの予想には経験が必要ですね。私が出来るのは、どちらになっても困らないように準備するぐらいです。
例えば富士山が雲で見えなければ、マクロレンズに交換して、花にターゲットを変えるなどです。

レベル4 動物系
鳥や蝶がいつ飛んできても、猫やリスがいつ現れても、逃さずシャッターを切りたいものです。
動物の姿が見えている時は、次の行動を予測して、シャッターを押すタイミングを考えておきたいものですが難易度は高いですね。
猫の行動は私には予測困難。

レベル5 人間系
人間の行動予測は難しいと思いますが、日頃の行動パターンを知っていれば対応可能と思います。
例えば、鉄道の駅員さんの日常の安全確認行動は予測可能です。
なお、こどもの行動予測は不可能です。

いかがだったでしょうか?
まだまだ他にありそうですが、いかなる場面でもあわてず写真を撮れるよう、
「予知能力」を磨いてまいりたく精進します。

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2018年7月31日 (火)

思考訓練の場としての写真 #27 さつえいすぽっと

有名な撮影スポットに行くことがあります。
そういう場所の絶好の撮影時間帯には多くのアマチュアカメラマンの方々が集まります。

撮影に良い場所、良い季節、良い時間帯の情報はネットですぐに手に入れることのできる世の中です。
だから、情報に敏感なカメラマンがあっと言う間に全国から集まってくるようです。

当然、撮影場所は混雑しますし、行くまでの道路が渋滞することもあります。
撮影マナー以前の問題として、人が集まると何かと軋轢が発生します。

私もそんな中の一人ですから、文句は言えません。有名な撮影スポットに行って、ネットで賞賛されているような魅力的な写真を撮りたいと思ってしまいます。

でも実は結果は分かっているのです。

多くのアマチュアカメラマンが撮影しているのですから、相当の技量がないと、おいそれと太刀打ちの出来る写真が写せる筈が無いのです。

集まってくるアマチュアカメラマンの腕前は推察するしかないのですが、持ってきている写真機材のレベルが違います。
一見しただけで、総額100万円を軽く超える写真機材を並べている人が何人もいるわけですから。

マーケットの世界の用語だと、まさしくレッドオーシャン、過当競争の世界なのです。

それでも私が何故そういう場所へ行くのか?

そういう撮影スポットは、誰が写しても、それなりに「良い写真」が撮れるということに他なりません。
大失敗のリスクが少ないのです。

でもそれなりには撮れるものの、ごく平凡な定番の写真になりがちです。
個性的で、評価される写真を撮るのは相当難しいと思います。(「なら、行くなよ!」→ひとりツッコミ)

以上、残念な話でした。

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2018年7月27日 (金)

思考訓練の場としての写真 #26 うそつき

「美しい所だけが見えるように写真を撮る」と言うと、ある意味、「写真が事実と異なる」ようなニュアンスがあります。

よく観光地のパンフレットの写真を見て、その美しさに大いに期待しながらその場所に行ってみたら、
写真と実際の風景とにギャップを感じることがありますよね。

そんな時は「写真にだまされた」と思うかもしれません。

「写真はうそつき」と言って、撮影術を指導されるプロカメラマンの方もいらっしゃいます。

私は、写真加工ソフトでモノまで消してしまうのは、CG(コンピュータ・グラフィックス)であって、従来の「写真(と呼んでいたもの)」とは違うもののように思います。

でも作者(カメラマン)が意図して、美しい部分だけを切り取って見せるのは写真の技術であり、作者の才能による芸術だと思います。

写真を見る側から言っても、被写体の美しい所に気づかされる事は、とても幸せな事だと思うのです。

もっと言えば、人は「自分が見たいものしか見えない」のではないかと思います。
人は、「見たくないもの」は、無意識のうちに「見えない」ものにしていくのだと思います。

人が見たくないものを敢えて写真で見せて、真実に気づかせることも写真の役割かもしれません。
そういう写真を撮られる方も必要だと思います。

でも私は、人がずっと見ていたくなるようなものを撮りたいです。
世の中が美しさに溢れていることが感じられるような写真を撮りたいと思っています。


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2018年7月26日 (木)

思考訓練の場としての写真 #25 なつのさつえい

いろんな季節の写真が撮りたいので、いろんな季節に写真撮影に出かけます。

雨や雪や風の時には辛いこともありますが、夏の暑さも「きつい」ものがあります。

特に今の暑さは本当に身にこたえます。
若い頃はこれぐらいの暑さにも耐えて、スポーツだってしていたのに。

暑さで汗が体にまとわりつくのが嫌です。
もっと嫌なのは、虫が来ることです。
この暑さで虫も活動を弱めてるような話を聞いたのですが、そんな事はありませんでした。

汗のかいた首もとに来て、刺していくのがわかります。
払いのけるのですが間に合いません。

家に帰ると痒さに悩まされます。

こんな夏の暑さに皆さんも耐えているのですから、
私だけが泣き言を言うのはダメなのですが、
やっぱり辛いものは辛いです。

早く秋が来て欲しいと思う今日この頃です。

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2018年7月25日 (水)

思考訓練の場としての写真 #24 うつくしくとる

前回に、「美しいものを撮るから美しい写真が撮れるのではなくて、どんなものでも美しく撮ることが出来れば、当然、美しい写真になる」という、ごく当たり前のような事を申し上げました。

「どんなものでも美しく撮ること」ができれば苦労はしないのですが、自分なりに撮影時に実践していこうと考えております。

例えば、「夜目(よめ)遠目(とおめ)笠(かさ)の内 」という言葉があります。

これは「夜見るとき、遠くから見るとき、かさに隠れた顔の一部をのぞいて見るときは、はっきり見えないので実際より美しく見えるものである。」という意味です。

要するに、全部をはっきり見せないのも「美しく撮る」方法のひとつであることを示唆しています。

今までは目の前に広がる風景を遍く画面におさめようと思いがちになっていたのですが、むしろ「どこを隠して、どこを切り取って見せるか」を意識しながら撮るようにしていけば、もっと良い写真が撮れるのではないかと思っております。

絶景ばかりが風景ではございません。一見、平凡な日常風景を美しく撮ることが第一の目標になります。

そんな事を考えているものですから、最近は広角レンズより中望遠レンズを使うことが多くなっています。

果たして実践した結果が如何なることになるか、今後のご報告に乞うご期待ください。

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2018年7月24日 (火)

思考訓練の場としての写真 #23 あおいとり

最近、写真の上手な方を見ていて感じていることがあります。

こう言ってしまうとすごく当たり前の事なのですが、
写真のうまいひとは、私と同じものを撮っても、私より美しい写真を撮ります。

つまり、普通のもの(被写体)でも美しく見せる撮り方ができるのです。

そういう意味では、私はずっと考え違いをしていました。美しいもの(被写体)を撮るから、美しい写真が撮れるのだと。
でもそうではなくて、(どんな被写体であっても)美しく撮るから、美しい写真ができるのだと思うようになりました。

確かに被写体そのものが美しいもので、誰が写真を撮っても美しい写真になる事はあるでしょう。
でも、本当に写真の上手な方は、被写体から美しさを引き出す事が出来るように思います。

美しい被写体を探し回るのも一つの方法だと思うのですが、今は、身近にある物から「美しさ」を引き出すような写真が撮りたいと思っております。

「青い鳥」のように、美しいものは私の近くにあるのかも知れません。


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2018年7月17日 (火)

思考訓練の場としての写真 #22 のこす

皆さんは画像データを何に保存されてますか?

私は紆余曲折を経て、今は、画像データをハードディスクとクラウド保管の二重で保存・バックアップしています。
幸いにしてデータがトンダことは無いのですが、それなりに時間とコストを掛けて割と用心深くやってます。

でも、時々思うのですが、時間とコストを掛けてデータ保管する意味があるのかなぁと。

一つには私の写真にそこまでの価値があるのか?ということです。たとえデータが無くなっても、私が残念に思うだけですよね。
私さえ諦められれば、誰も困らないし、問題も発生しない。

もう一つ言えば、一度現像してプリントやブログにアップするなどした後に、後日、ふたたび使用する画像データは、気に入ったほんの一部のデータに過ぎません。大部分のデータは、二度と使う事のないデータなのです。ひょっとしたら使う事があるかも知れないので念のため残しているだけなのです。
でも「ひょっとしたら」なんて事は殆ど無いし、仮にそういう事態でもデータが無いなら無いでもそこまで困らない気がします。
まさに「someday never comes」なのです。

むしろ今気になっているのは、私に突然もしもの事があったら、誰がこのデータを処分するのかです。
ハードディスクは廃棄処分してもらう事として、クラウドデータは、家族の誰も存在さえ知らないので、うまく処分できるかどうか心配になります。可能な限り迷惑はかけたく無いのですが・・・。エンディングノートに書いとかないといけないのでしょうかね。

それなら最初から「残すな」なのかもと思い始めています。

いずれにしても、私の断捨離には画像データが含まれるのは確実ですね。

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2018年7月16日 (月)

思考訓練の場としての写真 #21 いろ

「色はおまけです」と私の尊敬するプロ写真家の方は言われます。

その方は素晴らしいモノクロ写真を撮られる方で、私はその写真が大好きです。とても良い写真なので仕事場の前の壁に飾って毎日眺めています。

その方のいう通り、素晴らしいモノクロ写真は、心の底まで訴えかける力があるように思います。色の付いた写真よりも、何故かイメージが膨らみ、過去の記憶が呼び出されて、感情を揺さぶられる感覚を覚えます。
多くのモノクロ写真の傑作はずっと見ていても疲れませんし、心が落ち着きます。

だけど、私にはなかなかモノクロ写真が撮れません。腕前として撮れないのもあるのですが、やはり色が無いと寂しいのです。

子どもの頃、初めてカラーテレビを見たときの感動が今も残っています。世界が色に満ちていることを改めて感じた覚えがうっすらあります。
写真もそうです。初めてカラー写真を撮った時の喜びを身体で覚えているような気がします。

いつかモノクロ写真で素晴らしい写真を撮りたいと思っています。でも当分はカラー写真中心でなんとか奥深い写真を撮りたいと思っております。


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2018年5月26日 (土)

思考訓練の場としての写真 #20 ひだりめ

私は左目でカメラのファインダーを見ています。最近まで他の人たちもそうだと思っていました。
ところが、多くの人が右目でファインダーを覗くのだということを初めて知りました。

要するに、手にも利き腕があって右利きと左利きがあるように、目にも利き目があって、私はたまたま左目利きだということのようです。そして、どうやら「手」と同じく、「目」も右利きの人が多いようなのです。注意深く他のカメラマンを見てみても、今のところ圧倒的に右目でファインダーを見ている人が多いようです。(自分の主観です)

違和感を最初に感じたのは、縦位置の写真を撮る時です。特にファインダーが中心より左側に付いているカメラ(結構多いとおもいます)の場合です。
皆さんは縦位置で撮る時に、カメラの右側を上にしますか?それとも左側を上にしますか?
右側を上げると右手が大きく上に来ます。(当たり前ですが)
逆に左側を上に上げる時には右手を大きく下にします。
私はもっぱら、カメラの右側を上にします。
何故なら、左側を上にしようとすると、右手を下にして、手首を反らして、右肘を腹の左前に入れ込んでシャッターを押すのですが、その姿勢がとても苦しいからです。
その姿勢を右目でファインダーを見る人は、比較的容易にやっているのを知ってから、私だけ、右手のネジリが大きい事に気が付き、自分が左目で見ている事に気がついたのです。

左目で見る事で不便があるのは、先に書いた通り、今のところ縦位置の写真をカメラの左側を上にして撮る時位しかありませんので特に問題は無いのですが、カメラのデザインによっては支障が出そうなので、新しいカメラを買う時には注意したいです。

今のカメラの大半は、私の知る限り、右手でシャッターを押す形になっています。おそらく、手も目も右利きを前提に作っているように思います。多くの人が右利きだし、利き手と違う方でシャッターを押す事も不可能ではないので仕方ないとは思いますが、時代の流れからすると、この辺にも配慮が求められていくようになるのではないでしょうか。(左利き用のカメラって売っているのでしょうか?)

ちなみに、幸いな事に私は鼻が低いので、左目で見てもカメラのボディに鼻が当たって使いにくいと感じた事はありません。生まれて初めて、鼻が低くて良かったと思いました。(笑)


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