日記・コラム・つぶやき

2019年9月 4日 (水)

思考訓練の場としての写真 #42 セレクション

8月31日に、来月の写真展に出品する写真の「セレクション」がありました。

写真クラブを主宰する先生が神業の様なスピードで私の写真の候補の中から選んで下さいました。

 

写真は選択の芸術であると言う話を何かの本で読んだことがあるのですが、まさに趣味の写真活動を通して、ずっと「選択」という作業が付きまとう事を痛感しています。

 

そもそも写真を撮る段階で、被写体を取捨選択し、撮影条件を選択して撮影します。

その選択で写真の出来が大きく変わりますので、私は今でも直ぐにひとつに決められなくて、同じ場所での撮影でも、構図を変え、絞りを変えて、何枚も撮影してしまいます。

 

撮った後も、同じ被写体の写真を何枚も撮っているので、その中からベストの一枚を選ぶのが大変な作業になります。

 

いわんや、写真展に出す写真の候補を選ぶのには相当な時間が掛かりました。まあ、「ドングリの背比べ」だからですが・・・。

 

出来の悪い写真であっても、自分で撮った写真は我が子と同じで愛着があります。一方で、そんなに自信のある写真はありませんから、選ばれた写真が全紙サイズの大きな写真プリントに耐えられるか不安になります。

 

選ばれた写真は自信が無くて不安になり、選択に漏れた写真が残念で悔しい気持ちが入り混じって、セレクションが終わってからもしばらくは妙に複雑な気持ちで落ち着きません。

 

でも、自分自身の決断力が無いことを呪いつつも、こういう試練には少しずつ慣れてきました。

 

そして今年は、セレクションも写真の楽しみのひとつだなぁと少しは思いつつあります。

 

来年こそは、選ぶのに困る位の嬉しい悲鳴をあげたいものです。

 

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2019年8月28日 (水)

思考訓練の場としての写真 #41 二律背反?

今、私の趣味の写真活動で悩んでいる事は、二つの課題が両立できるかどうかです。

 

二つの課題と言うのは、「写真を作品レベルで撮る」と「写真撮影を楽しむ」です。

この二つを何とか両立させて、素晴らしい趣味の「写真生活」を謳歌したいと、虫のいい話を考えているのです。

 

「写真を作品レベルで撮る」というのは、「作品」の定義がなかなか難しいのですが、少なくとも人様にお見せできるレベルで、ひょっとすると写真展に出品できるかなぁという位のレベルの写真を撮るという意味です。

 

もう一つの「写真撮影を楽しむ」は、写真撮影している時間を目一杯楽しみ、「至福の時間」にすると言う意味です。間違っても、写真撮影を苦行の場にはしたくないという事です。

 

簡単に要約すると「楽して良い写真を撮りたい」です。

 

何という自分勝手な願望でしょうか? 写真の先生が聞いたら怒りそうですね。

 

でも、本当に楽しく写真撮影をして、その結果、素晴らしい写真が残せたら、こんな幸せな事はないので、何とかそれに近づきたいと考えているのです。

 

例えば、私は飛行機の写真を撮る時、すごく楽しんでいます。目まぐるしくやってくる飛行機を反射神経も駆使しながら次々と撮していくのは、スポーツにも似て、一種の興奮状態で陶酔した時間が過ごせます。この撮影時間は至福の時間です。

でも現状は、撮った写真はただ飛行機が写っているだけの写真で、とても作品とは呼べません。

 

例えばスナップ写真でもそうです。街並みを歩きながら撮していくのはとても楽しくて至福の時間ですが、撮った写真はありふれたものです。

 

良い写真・作品を撮るためにプロのカメラマンは、例えば、極寒の早朝でも厭わず、しかも秘境と言われる処まで遠征し、重い荷物を背負って撮影ポイントを探して、徹夜で待機して撮影しているのです。とても私には真似できません。

 

「楽しみながら撮影していたら、そのうち写真撮影技術が上達して、作品レベルの写真が撮れるようになった」というのは夢物語なのでしょうか?

そんなぐうたらな、極楽なことを思いながら、「ひょっとしたら、高機能の写真機材があれば実現できるかも」なんて、さらに能天気な事を夢想しております。・・・・>どこにそんな金があるのや!

 

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最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

2019年8月26日 (月)

思考訓練の場としての写真 #40 自分ひとりコンテスト

年に一度、私の所属する写真クラブで写真展が行われます。

毎年、秋に行われるので、この季節になると、出品する写真を選ばないといけません。

 

ということで、この季節は私にとって、反省と自信喪失の季節となります。

 

1年間撮りためた写真を自分で見直します。

撮影した時を思い出しながら、最初は楽しい気持ちで見ていきます。

こんなこともあったなあ、こういう時もあったなあと懐かしみながら、楽しかった記憶と共に苦い記憶も思い出します。

思い出は甘美なものであると同時に、嫌な記憶を呼び戻す悪夢のようなものでもあります。

 

両方を味わいながら、写真を見直していると、写真のダメなところに気が付きます。

 

もちろん、他の人に褒めて貰った写真もありますので、うまく撮れたとほくそ笑む写真も無くはないのですが、いざ、写真展に出すという前提が付くと、どんどん、良いものが無くなっていきます。

 

その上、写真展にはテーマがあります。テーマに合った写真と言われると、本当に困ってしまいます。

 

それでも、無理やり、自分なりのベストショットの順位付けをしていきます。

この時点では、何10枚かは、2L版でプリントをしておいて、プリントで比べていきます。

そうすると、今度はプリントでの粗が気になってきて、落ちていくものが続出します。

 

この頃になると、今度は敗者復活でも無いですが、救い出し作業になってしまいます。

ダメ出ししたものの中から、ましな写真を救い出さないと、一枚も残らなくなってしまいます。

 

こんなコンテストを一人でやりながら、自虐の言葉を吐き続ける夜でした。

 

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2019年3月24日 (日)

シルバニアファミリーとプーさん

先週の日曜日に銀座の松屋に家族でシルバニアファミリー展を見に行ってきました。
シルバニアファミリーは子どもたちが小さい頃に居ましたので、とっても懐かしい玩具です。
時代とともにさまざまな動物の仲間が増えていったことがよくわかりました。
写真撮影可の場所で写真を写しました。
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我が家に居たのは何だったのがの記憶が薄れています。
うさぎさんだったような。
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銀座でシルバニアファミリー展を見た後に銀座線に乗って、渋谷駅に向かいます。
渋谷駅に行くのは久しぶりです。
渋谷ではプーさん展を見ました。場所は「Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷・東急本店横)」です。
プーさんはディズニーの映画や絵本で子どもたちとよく見ていました。
プーさん展では原画がたくさん展示してあって、素朴な味わいがとても心を休めてくれます。
写真撮影可能な場所で写しましたので少し雰囲気をご覧くださいませ。
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この写真は肝心のプーさんが写ってません。何のこっちゃ!
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少しだけ雰囲気を感じていただけましたでしょうか?

2019年3月20日 (水)

ココログがリニューアルされて苦労してます!

ココログがリニューアルされました。投稿の画面も変わってしまいました。
年を取ると変化についていくのも大変です。
老化防止のための頭の訓練には、ちょうど良いかも知れません。
とにかく慣れるしかありませんね。
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2019年1月27日 (日)

奥日光の朝

おはようございます。

昨日から奥日光に来て、写真撮影をしています。
昨日午後くらいから、少しずつ、雪が降ってきています。
夜は相当冷え込みました。
ホテルのお風呂がぬるくて、とっても寒かったです。

今日は雪景色を撮影して帰りますので、お楽しみに。


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2019年1月24日 (木)

思考訓練の場としての写真 #39 見て楽しむ

最近、ようやく気付いた事があります。

『「見たい写真」と「撮れる写真」は違う』と言うことです。

スポーツに例えると、「観戦するスポーツ」と「自分がやるスポーツ」みたいな感じです。
(自分でもやるし、観戦するのも好きというケースも、勿論あるでしょうけど)

「見たい写真」は、すなわち好きな写真と言い換えてもいいかも知れませんが、雑誌やネットで見て、素敵だなと思ったり、気に入って写真集を買ったりする写真のことです。
具体的に言うと、私の場合は、絶景写真と呼ばれるものを中心とした風景写真が一番見たい写真です。
特に四季折々の広大な光景を映し出した写真が好きで、家に飾りたくなります。

でも、写真を趣味として撮り続けて何年も経って、ようやく今になって、そんな絶景写真は自分には撮れないということがわかってきました。
絶景写真は、私の「撮れる写真」ではないのです。

以前は、そういった写真を自分でも撮りたいと思って、トライはしていたのですが、結果として、うまく撮影出来なかったのです。
そして、上手くいかなかった理由を冷静に考え、どうも私には無理だという結論に達しました。

無理だと思う理由を挙げていくと、自虐と弁解の箇条書きみたいになってしまうので、此処では省略させていただきます。

一言で言うなら、そういった絶景写真を撮るために必要な諸々の事項が、ことごとく私の不得意な事項であったという事です。
「好きこそものの上手なれ」ではなく、「下手の横好き」だったという事です。


ともあれ、そういう事は、世の中にはよくある事でありまして、特にそれが分かって、落ち込むような事はありません。

そこそこ好きなジャンルの写真を身の丈にあったように撮っていけば良いのですから。

と言うことで、絶景写真は「見る写真」と割り切り、もっと日常に近い写真を撮って、皆さまにも喜んで貰いたいと思っております。


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2019年1月23日 (水)

思考訓練の場としての写真 #38 距離感

私は子供の時から、どうも人間関係における「距離感」の保ち方に苦手意識がある。

辞書によると、距離感とは『相手に対して、心のへだたりがあると思う気持ち。』と言う事なので、親しくなればなるほど、距離感は無くなっていくのが普通なのだと思う。
しかし一方で、私は、どんなに親しくなっても、やはり一定の距離感は保ちたくなるのだ。
「親しき仲にも礼儀あり」と考えてしまう質(たち)なのだ。


実は写真撮影でも、被写体との距離感に迷うことが多い。
写真撮影と人間関係は別の話ではないかと思われるかも知れないが、私の深層の心理では、同じ感覚があるように思う。


もちろん、写真を撮る時の、被写体との物理的な距離が、心理的な距離とイコールではない。
ただし、被写体に近づけば近づくほど、被写体の大きさや迫力に圧倒される気持ちになる事は分かって頂けるのではないか?

そういう意味で、物理的な距離と心理的な距離には相関関係があると思う。
(距離が遠くても、四方に広がる大パノラマであれば、やはり圧倒はされるのだが)


要するに、被写体と撮影者の間にも、「心のへだたりをどの程度感じながら撮影するのか」という「距離感」があると思う。


実は、本当に良い写真を撮るためには、被写体と一体になった気持ちで撮るべきなのかも知れないと、心の中で思ったりもしている。
光景に感動して、無我夢中で撮った時の方が、最も被写体に心理的に近づいていて、良い写真が撮れるのかも知れない。


でも私は、実際には、物理的にも、心理的にも、少し距離感を保ちつつ撮影することが多い。

だから、基本的に人様を撮影するのが苦手である。
どこまで踏み込んで撮影して良いものか考えてしまうのだ。
うまく近づいて、ポートレート撮影ができない。

被写体がモノであれば、それほどは気にならないのだが、今ひとつ、被写体に迫って撮すことが出来ない気がする。

基本的に、望遠レンズを使って、遠めから被写体を狙うことが多いように思う。
スナップ写真でも、ある程度距離が離れてないとダメなので、引いて撮ることが多く、余計なものが写真の画像の中に意図せずに入ってしまう傾向がある。


やはり、良い写真を撮るためには、しっかりと被写体と対峙し、じっくりと見た上で、気迫を込めて一歩踏み込んで撮るべきだろうから、そういう心構えで撮るように努力はしていきたいものである。

でも持って生まれた性分なので、どうしようもない部分もある。
遠くから、はすに構えて、ちゃちゃと撮ってしまう癖はなかなか変わりそうに無い。

今更、性格が変わる訳もなく、自分なりの写真を撮るしかないのだろうと半ば諦めているところもある。

私の写真を見てくださる方々には申し訳無いのだが、ご勘弁くださいませ。

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2019年1月18日 (金)

思考訓練の場としての写真 #37 幸せな時間を思い出す

写真の趣味は本当に良い趣味だと思います。

その理由は、「一枚の写真で3回、幸せな時間を過ごせる」からです。


まず1回目は、「撮影する時」です。

素晴らしい被写体に出会え、それを幸運にも撮影できた瞬間は至福の瞬間です。


2回目は「写真を現像する時」です。

勿論、撮ったままでの写真でも良いのですが、自分の好みの色合いや明るさに調整する事で、写真が見違えるように良くなることもあります。
いわば、写真の2回目の誕生だと思っています。

この現像の作業が手間だと思う方もいらっしゃるようですが、私から言えば、「現像作業をしないのは、とても楽しい時間を捨てている」ようなものです。
パソコンのソフトでとても簡単にできますので、現像をされていない方は、是非一度、お試しくださいませ。


3回目は、「自分の写真を後から見る時」です。

しかも3回めの幸福な時間は、見るたびに味わえます。お気に入りの写真であれば、尚更です。

ここでの写真の味わい方について、是非、意識していただきたいことがあります。

写真そのものをうっとりと鑑賞して幸せになるだけでなく、その写真を撮影した時の幸せな時間を思い出すのです。

「あの時の撮影は楽しかったなぁ」と思い出すことで、幸せな気持ちは倍増します。

しかもこの幸せな気持ちが持てるのは、撮影した本人だけの特権なのです。


こうして幸せな時間を写真を見るたびに思い出して、「有り難い有り難い」と心の中で思っていると、心が和やかになります。

そして写真撮影ができることへの感謝でいっぱいになります。


そういう時に、「写真の趣味があって、良かった」と実感します。


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2019年1月 1日 (火)

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

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写真は、昨年末に鎌倉で撮影した富士山です。


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